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留学生への応援メッセージ: Md. Moin (エムデ・モイン)さん (ピクト株式会社)

English

 バングラデシュから立命館アジア太平洋大学(APU)に入学し、卒業後名古屋の大手メーカーに入社し、次いで東京にあるドイツ系企業に転職し、筑波大学のMBAコースに通いながら在勤中に「知的フェアトレード」を基本コンセプトにした社会的企業ピクト(株)を起業したエムデ・モインMd.Moinさんにインタビュー致しました。モインさんは現在、バングラデシュに進出する日本企業の課題解決(コンサルティング)のために両国を飛び回っておられました。

 『私(Md. Moin エムデ・モイン)はバングラデシュ・チッタゴン生まれでダッカ大学入学後、22歳で立命館アジア太平洋大学(APU)に編入入学しました。 周りの友人は欧米に留学していましたが、私は来日経験のある父から聞いていた日本人の優しさと、世界有数の経済大国・日本を選びました。
バングラデシュからの留学生が少ないのも魅力でした。(海外の日本人も同じでしょうが、同国人が固まって閉鎖的な留学生活をするのでは、もったいない)。
当時、日本の大学は日本語での教育がほとんどでした。大使館に相談し、英語コースのあるAPUに入学を決めました。

 05年3月同大を卒業し、名古屋の大手日系メーカーに入社しました。 2年後、どうしてもMBAを取得したいと、就学環境のととのった、東京にあるドイツ系企業ボッシュに転職しました。 上司はドイツ人で、職場の理解が有ったことと、フレックスタイム制であったので、自ら勤務時間を調整して2009年から筑波大学のMBAコース(大塚キャンパス)で学びました。土日は終日、それ以外は夜の18時から22時30分まで週4回通いました。 

 2010年、同社在勤中に、フィリピン人の「経済的自立」と日本人の「語学的自立」を目的に「知的フェアトレード」を基本コンセプトにした社会的企業ピクト(株)をフィリピン人の同級生と設立しました。 ボッシュ在勤中の起業でしたので、会社から30時間/月の許可をもらい、その分の給与は辞退しました。 その後、この「スカイプを使ったオンライン英会話事業」に専念するため、2012年12月にボッシュを退社しました。

 一方、ここ2、3年、出身国バングラデシュに関する話がマスコミに取り上げられるようになりました。バングラデシュはBRICsに次ぐNEXT11の一国として急速な経済成長を遂げています。同時に日本より多い1億6千万人の人口で、かつ平均年齢22歳の若い国であり、ビジネスチャンスに満ち溢れた国です。

 日本企業にとっては生産基地として、また、マーケットとしての魅力があり、バングラデシュに進出を計画している企業は多い。 しかしインフラ整備が成長に追いついていない現状で、かつ法律制度や現地の人達や当局とのやり取りが難しく、苦労される企業さんも多いようです。
それまでも進出企業からの相談が多かったため、2013年3月に100社も集まる大きなセミナーを開催し、その時点から本格的にコンサルタントビジネスに進出しました。 この半年で多くの企業がお客になりました。

 現地には安全・安心、信用・信頼できる人は誰か、等の根本課題も有ります。また親日家の多いバングラデシュですが、政府や地元当局は日本企業に対し、必ずしもウエルカムな態度でもなく、信頼できるトップレベルの人を探し、かつ彼らの本音を聞き出しながら合意を導くのは大変です。事務所開設すら苦労します。 ある進出大手企業は、現在、首都の高級ホテル内に支店を設けている状況です。

―――モインさんは進出企業にどんな解決法を提示しましたか?
 私はいっそのこと、日本企業専用のビルを作り、その中に日系企業やJETRO等に入って貰い、そのビルを基地にして、バングラディシュと日本とのビジネス拡大を手助けすることが日本国籍を取得した私の役割だと考えました。
そのプロジェクト名はJBBC(Japan Bangladesh? Business Center)であり、バングラディシュ進出(予定)各社を走り回り、合意を取り付け、出資して頂くことが決定しました。
具体的にはダッカに日本企業専用の基地タワー(JBBCタワー:15F)を作ります。 2016年完成するタワーはピクト(株)がビルを管理致します。 個性のある日本企業各社を取りまとめてきました。このビルを基地にして日本企業の課題をピクト(株)のみ、ワンストップで解決致します。

 なお進出企業からの具体的な案件が発生した場合のコンサル業務を、ピクトはJETROからの委託契約を結んでいます。ピクトは受託を受けて、多くの相手と交渉し、日系企業に提案し、ビジネスを保証します。 
今や毎月のように日本とバングラディッシュの間を往復しています。

―――企業に勤められた経験があるモインさんにこそ聞きたい。企業内において日本人は外国人を差別していますか? (優しいのでしょうか、厳しいのでしょうか?)
 私はコミュニケーション上手で、自分自身は差別を受けたと感じたことは有りません。 Japanese Management System においては終身雇用・年功序列が基本です。従業員を厳しく育てるのは当たり前で、私は厳しく言って頂くのはありがたい。自分を強くすると考えます。しかし、私の知っている外国人の8割は、厳しく育てるという企業風土が嫌いで、逆に自分の祖国で見聞きした通りにやろうとする。 外国人は日本のシステムを理解すべきだと考えます。』

終わりに、無理をお願いして現役の留学生に贈る言葉を色紙に書いてもらいました。 何を残そうかと悩まれながら、『まずは日本語を取得することだ』と書かれました。文化を知ることと、日本語取得は両輪と考えておられました。日英二言語教育を標榜しているAPUで学び、その後、筑波大学MBAコースで様々な議論の時期を過ごし、当然、両言語能力の高いモインさんから、日本語こそが重要だと示されたのは、私にはやや意外でした。しかしチャレンジを続けているモインさんの経験から生まれた留学生に対する貴重なアドバイスであろうと思います。


 JBBCは素晴らしいビジネススキームと感じました。
建学の基本理念が当時、非常に斬新で、いわば試行的でもあったAPU が現在、他大学に与えた影響は測り知れないほど大きい。その成果の一つがチャレンジャー(モインさん)を生むのであろう。
『日本とバングラディシュの架橋になろう』と走り続けているモインさんにとって、来日当初、由布岳を背にした高台の、見晴絶好のAPUキャンパスから、はるか下方の、視界180度で広がる別府湾を望みながら、はるか先のバングラディシュに思いを巡らしたのが今に至る志の原点であったのだろうか。


Md. Moin (エムデ・モイン)さん
 1979年、バングラデシュ・チッタゴン生まれ。ダッカ大学入学後、22歳で立命館アジア太平洋大学に留学。05年3月同大を卒業し、日系企業に入社。 
07年にドイツのボッシュに転職。 在職中に筑波大学でMBAを取得した。
10年11月、社会的企業としてオンライン英会話スクールのビクトを設立。
12年、日本に帰化、妻と2人の子供がいる。
2013年3月からバングラデシュ進出企業のコンサルタントビジネスに本格進出。

http://vision-asia-consulting.com/about/#ceomsg