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Forerunner cordiality
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留学生への応援メッセージ: Tran Ngoc Phuc 新田一福 さん (株式会社メトラン)ベトナムから留学生として来日し、卒業後、医療機器メーカーに研修生として入社され、のちに(株)メトランを創業し未熟児向け「高頻度振動換気(HFO)人工呼吸器」の開発に邁進、治療現場で高い信頼を獲得されたTran Ngoc Phuc さん(日本名:新田一福)にインタビューをさせて頂きました。 『私(Tran Ngoc Phuc)はサイゴンの高校を卒業後1968年留学生として来日しました。 大学卒業後、アジア文化協会の奨学金を受けながら医療機器メーカー(泉工医科工業)に研修生として入社しました。 当初、ベトナムの両親とは電話で連絡していましたが、やがてベトナム戦争が激化し、ついにサイゴン(現フォーチミン市)の家族との連絡が全く出来なくなりました。報道は多数の死亡を伝えました。 ベトナムの家族はどこに居るかも生死も全く分からなくなりました。連日のベトナム報道を見ながらどんどん絶望の淵に追い込まれました。 自分にしかできないテーマを探しました。人工呼吸器をやりたいと社長に話しましたら、開発品を抱えながら営業をやってみろと言われました。 家族と連絡が出来ない極限状態を経験し、かつ新しい仕事の環境から、それまでの自分は死んだのだと、生まれ変わったつもりで働きました。 1984年、妻を説得し、退職金と友人からの出資をもとに株式会社メトランを設立しました。私は未熟児の生存率を上げるという夢を追いかけ、肺に優しい「高頻度振動換気(HFO)人工呼吸器」の開発に邁進しました。 ----多くの方々との繋がりが現在に生きていると感じますが、初めての人とお付き合いする時のPhucさんのスタンスは? ベトナム戦争の枯葉剤が原因で生まれた下半身がつながった結合双生児ベトちゃんドクちゃんの治療のために主治医として同行来日されたPhuong博士に通訳と医療機器に関する知識で私に協力要請があった。それを契機に、博士の強い後押しも有り1986年に18年ぶりに祖国ベトナムの土を踏み、長く会えなかった家族に再会しました。 ベトナムに昔の面影は有りませんでした。ベトナムの家族も全てを失っていました。 生きる為に生活のすべ(術)を探さなければいけません。私は長男に生まれた使命感から、弟2人や妹を日本に呼び寄せ、医療関係や食品関係の技術研修を受けさせました。それら弟妹はベトナムに帰り、後に幸い事業を始めました。彼等と日本との絆も深まりました。家族を大切にし、助け合う気持ちは、日本を含めた東アジアどこも同じですね。 今は世界中に人工呼吸器を販売しています。私は今後も「命」を守るためを第一に事業拡大を目指していきます。 もちろんベトナムの将来にも可能性を抱いています』
Tran Ngoc Phuc 新田一福さん http://www.metran.co.jp/index.html |